2020-01-01から1年間の記事一覧
私の生活圏に海はない。なので視界に海が溢れる光景は、それだけで心が湧き躍る。
とんかつほど鉄板な料理もないのだが、見た瞬間に「これ旨いやつだ」という、この感動。
定食メニューで取り合わせや食材に工夫があると嬉しくなる。安心の定番も良いが、たまには気を引く目新しいものも食べたいのだ。
華やかなアーケード街は、歩みを進めるだけで楽しい時間が過ぎていく。
よくあるタイプの海鮮丼であっても目新しい器となるだけで、沸き起こる新たな高揚感。この高鳴りは抑えられない。
うどんは地域やお店によっていろいろスタイルがある。皆旨い。みんな違ってみんないい。
町並みを見るのが好きだ。この街で確実に、誰かが暮らし生きている。
鍋の注文は敷居が高いので、こういう小さな膳があると嬉しい。
洋風の頻度は少ないとはいえ、明らかな良さがここにある。いくつになってもハンバーグは鉄板なのだ。
めっきり見なくなった風景がここに。身近にあった記憶などないのに、なぜこの風景は幼き情景を掻き立てるのだろうか。
となれば当然イカで。この輝きは神々しい。近年不良続きと聞くが、どうか資源が持続しますように。
蛸づくしの料理。魚類貝類も素晴らしいが、頭足類といわれる食材もまた秀逸なのである。
高いところが好きだ。ただ眺めるだけで、いくらでも時間が過ごせる。馬鹿と煙とはよく言ったものである。
麺を投入して焼くスタイル。この鉄板で焼き上がる様が堪らない。
めん汁に油が染みるのは、実はあまり好きではない。それでも蕎麦屋の天ぷらは工夫が光る品が多く、オーダーを避けられないのだ。
名所旧跡よりも何気ない街の風景が心に刺さるようになった。自身とは違う日常、というものに感情が動かされるのだろうか。
丼物は誰も拒まない。初見の場所でも臆せず入店し、注文すれば良いのだ。
風景と合わさることで、より別格となる場合がある。食べ物も場所も素敵なものがあれば良い。
ふと訪れた街で小さな路地に足を踏み入れる。そこには確かな日常が感じられる。誰かの日常に、そっと足を踏み入れてしまった背徳感。
ラーメンは多数の識者が論を尽くしている。私が言及するまでもあるまい。それでもひと工夫ある品をいただくと、問答無用で心を揺さぶられるのだ。
お魚の盛り合わせをいただく。この高揚は表現しようがない。生きる歓びがここにある。
昭和の街並みの写真を見ると、何とも言えない感慨に浸る。今は何気ない街並みも、何十年も経てば同じ感情を呼び起こすのだろうか。
選択に迷ったとき、どこの街でも頼みの綱となるうどん・そば。外すことはまずない。頼もしい。
魚介が続いたので、肉で。魚が好きなのに、肉が嫌いである理由などなかろう。
牡蠣とは正義である。昔、苦味が口に残りイマイチだったものが、いつからジューシーで至高の食材と感じるように変わったのだろう。調理のラインナップが複数あると、「やるな」と敬意を表す。
そしてまた海鮮である。同じようなメニュー名称でもお店によって使われている具材が微妙に違う。その差異が楽しい。
海産物がメニューにあると頼みたくなる。新鮮な鮮魚はなかなか自分では準備できない、いまここにある味だから。
立派なグルメレポートは書けない。でも食べることが好き。それでいいじゃないか。 フォルダの奥底に眠る記憶を、ここに供養します。