風景
何気ない街の風景。変わりゆく街並みのこの瞬間を留めたい。
何気ない道を行く。今まで知らなかった場所だろうと、誰かが日々通る道なのだ。
まちを歩くのが好きだ。小さな町でもよく整備され、お店が立ち並んでいると心惹かれる。
海に沈む夕日を眺める。1日が終わるのを、じんわりと噛みしめていく。
神社の境内に並ぶお酒に、まず第一「飲みたい」と思う。罰当たりではあるが花より団子、神より酒なのだ。
風景に電車が混ざると、なぜか哀愁を感じる。こんな原風景は私の記憶に存在しないのに。この気持ちはどこから来るのだろうか。
ふとに訪れた場所の町並みを眺める。ここに暮らす人たちを想いながら。
ふと見上げた空に虹。今日はいつもより少しだけ、きっと良い日になる。
高所と海、というのは鉄板の組み合わせである。見下ろしたその先に海が広がっている、という状況の間違いない美しさよ。
著名な景勝地へ季節時間天候を狙いすまして行くのはもちろん素晴らしいのだけど、たまたま立ち寄った場で目にした光景が心を捉えるときだってあるのだ。
日常と食材のコラボレーション。その土地の日々の生活に想いを馳せる。
私の生活圏に海はない。なので視界に海が溢れる光景は、それだけで心が湧き躍る。
華やかなアーケード街は、歩みを進めるだけで楽しい時間が過ぎていく。
町並みを見るのが好きだ。この街で確実に、誰かが暮らし生きている。
めっきり見なくなった風景がここに。身近にあった記憶などないのに、なぜこの風景は幼き情景を掻き立てるのだろうか。
高いところが好きだ。ただ眺めるだけで、いくらでも時間が過ごせる。馬鹿と煙とはよく言ったものである。
名所旧跡よりも何気ない街の風景が心に刺さるようになった。自身とは違う日常、というものに感情が動かされるのだろうか。
ふと訪れた街で小さな路地に足を踏み入れる。そこには確かな日常が感じられる。誰かの日常に、そっと足を踏み入れてしまった背徳感。
昭和の街並みの写真を見ると、何とも言えない感慨に浸る。今は何気ない街並みも、何十年も経てば同じ感情を呼び起こすのだろうか。